黒猫の回想

いつの間にか観音開きのその扉は閉ざされ
向こうの様子が分からなくなっていた
  気がつかなかったのだ、
  つめを研ぐのに夢中で
  つめの間のゴミを除くのに夢中で
辺りは既に暗くなっていたのだと思う
  見えているようで何も分かっていなかった
時計の針は出鱈目に宵をひっかけてくる
そうしてはじめて瞳が満ちる
 閉じ込められたことに気付いたのだった
	

2010 9 18 24歳の晩夏  稚菜

眠りの前

エマルジョンの夜
 やさしさと
  おさなさと
   誇張と 諦観と

あまい汗は大粒 の飴玉
舐める寸前ベッドの下へ

・・・それは涙ではなかった、だから
わたしは拾いあげたりしない
	

2010 10 3 24歳の初秋  稚菜

せいろん

わたしは こののみものの ふるさとを しらない
とおく とおく にしのくに
ゆうやけいろ の えきたい

わたしは たいようのしずむ うみを のむ
たぷたぷ たっぷり なみなみと
いちばんぼし の しぼりたて

わたしは ははおやの あとを おう
ふるい ふるい しゃしんのなか
そばあじゅ の かみをすくゆび

わたしは このちゃわんに ゆびわを おとす
ひとつ ひっそり おともなく
ほうせき の なまえを しらない

わたしは ねむる
わたしは ゆめを みる
わたしは そうぞう する
わたしは とおくへ あこがれる
わたしは へだてられ まもられて いる
わたしは ゆめを あたえられて いる
	

2009 9 6 23歳の残暑  稚菜

むなしさへのあこがれ

見守るひともなく燃えるろうそく
ばさりと落ちても気づかれないノート
あるいはペン、えんぴつの類
手で払われたたばこの煙
忘れられた紙袋
その包みのなかのみかん
槇の垣根の後ろで目を光らせる猫

ろうそくがとろけるような声をあげて火が爆ぜるのを
文房具たちが喉も張り裂けようかというほどにうた歌うのを
空に混じる間際に身をくねらせる紫煙を
午後のおやつを待つ娘を
焦燥感に焦がされた猫のひげを

凝視していたい
近寄ってかき抱きたい 私は
それらを弱いものと感じるためでなく、
同朋意識のために
そしてあこがれのために
	

2008 12 13 22歳の冬  稚菜

凍れる町

雪が刺す 凍れる指
頭上を仰げば
天は低く雲は重くなってゐる
ああ 風が厚い布地を通り 体を突き抜けてゆく
雪は 手を 耳を ほほを じくじくと刺す
長く縮めてゐた所為で肩が凝ってしまった

来し方を思ふ
この白きは何ぞ
何ものぞ 吾が視界を遮るは
例へば幼き稚児であった頃
そは清き歌であった
天女の衣ずれの音楽であった
今なほ聞こゆるものか
再び聞こゆるものか

雪は吾が記憶の四辻に降積もる
(其のやはらかなる夢は やがて消えん)
空にまどふ指を透いて見ゆるは
凍れる 町
凍れる こころ
	

2008 12 1 22歳の冬  稚菜

冬行軍

その年
渡り鳥をはじめて見た夕暮れ

埋立地に整列する倉庫群が
息をそろえて足踏みしています

その銃口から放たれる金属音が
空へ空へと追いかけていきます、隊列を

姿は見えねど冬の軍靴
きんと鋭い将軍の眼光
沖へ沖へとせきたてます、隊列を

羽毛おどろに
宙を裂くはばたきが聞こえてくるよう

駆け足いいいいいいい  進め!!
ざっざっ!
	

2008 10 16 22歳の秋  稚菜

オフィスの窓より

何千 何百もの手を
お天道に向けて差しのべる
木 木 木
無垢な声をとりどりにけらけら笑う
その葉を見おろすほどに
いつからひとはえらくなったの
地面をはなれて
	

2008 7 28 22歳の夏  稚菜

思春期シグナル

筆箱のジッパーに手をかけ
3色ボールペンを取り出す
15の少女
それは少々変わった色合わせで
赤 青 黄

プチトマトが割れた
雨に濡れて
その裂け目に虫がむらがるのを
だれかとめて

空が青いと誰が言った
私には白く見えるのだけれども

片喰みの花が群生している
その実を指でつまんだなら
ぷつぷつとはじける
若い種子
散らしたままにしないで
よく聴いて その音を
とくと感じて その手ごたえを
	

2008 6 10 22歳の梅雨  稚菜

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