繭みたいな白詰草を手折るのがもったいないと言って その子は代わりにはこべを摘み 花かんむりにした デニムのベストを着こんだ それは11の純然たる少女 思春期の森に近付くのを無邪気に楽しんでいる 背を丸める蚕 ため息の糸 上質の絹 を希少な宝物として 中庭で思い思いに転がるのを保護し 踏みつけないよう眺めては もうすぐその美しさが 自分のものになるのだと 夢見ていたのだ だがその白い宝石を惜しむあまり 大釜で煮ることができない 適切な処置を先延ばしにして 庭の中に遊んでいる 白詰草を背に秘め隠し はこべを髪に飾った少女 たぶん 仲間と同じように 機を逃さずに華々しく着飾れば 背後から手招く無数の糸に絡め取られることは なかったのだろうに 中庭に閉じ込められることは なかったのだろうに 醜い蛾となった白詰草は 少女を置き去りにして中庭から消えた はこべの花かんむりは 伸び放題の毛に混じりしおれきった
2008 2 3 大学4年の冬 稚菜
涙は瞳の生理 定期的に訪れれば ね けろり そのときは痛くて気持ち悪くてしんどくっても 喉元すぎれば忘れちゃうの 映画にバラード ベストセラー それともセピアの思い出を引っ張りだしてみようか さて今週はどのメニューにする? そう、 お前の涙など生理現象に過ぎないのだ。 それをお前は自覚しているのか。 涙は宝石ではない。 むしろ尿と同じ成分なのだ。 それをお前は知っていて 舌で舐めとろうとしているのか。 純白のハンケチで押さえているのか。 至高の宝と礼賛しているのか。
2008 3 30 大学4年の春 稚菜
天井から 悲しみの杭の降下するのを シャツをたくし上げたお腹で うけとめる そうして 悪阻をもよおし 月を満たし いきんで ぽこりと産んだのが この歌です
2007 12 6 大学4年の冬 稚菜
月が空から転がり落ちて口の中に入ってきそうだ。 空にたった一粒だけの飴玉。 一日また一日とけていく。 すぱっと割れた寒天だ。 冷蔵庫できんきんに冷やした寒天だ。 割れ筋に沿って縦に光の走る寒天だ。 オリオン カシオペア あとはよくわからない。 口開けて見とれてたら 月は転がり落ちずに自分が転んだ。
2007 11 22 大学4年の秋 稚菜
千葉の町は発泡スチロールでできている。 海風に ふわん と浮かびそう。 指でほじくったりもできるんだ。 そこにセイロン・ウバを注ぐんだ。 丸いつぶつぶに 染みこむ 染みこむ それは血管 それは葉脈 それがコミュニケーションというやつなんだ。 壁の内はあたたかいよ。
2007 10 25 大学4年の秋 稚菜
おかえりなさい と言われても おなかすいた? ときかれても おいしいね と相槌を求められても 洗い物お願い と頼まれても ありがとう とねぎらってもらっても 私の見ている先は いつもここではないどこか
2007 大学4年の夏 稚菜
雨の速度を落として プラタナスの葉が着地する 羽を広げ かた足の つま先ずつ すると 浅い土の中に引きこもっていた虫たちが しんと黙りこんで あるかなきかの目に一斉に涙を浮かべます その哀悼はすべて あなたのためなのですよ
2007 大学4年の夏 稚菜
肉厚の花びらが折れ曲がっている 茶色くなった折れ筋に沿って 水が滲んでいる 葉はすこし多すぎるようで しかも虫に喰われている 甘く栄養があって美味しいのでしょう 目一杯光を浴びたのでしょう 涙を流しているのでしょう たくさんの指に撫でられたのでしょう
2007 大学4年の春 稚菜
私が手首を切るのに使ったカッターで あなたは履歴書の誤字を正した 削りとられた紙のカス・インクのカス をあなたは未練もなく手ではらう そうか カッターには 砂消しの用途もあったのかと 驚くわたし ならば私は黒子を削ろう この肌の汚点を削ろう
2007 大学4年の春 稚菜
軸足に体重をかけ もうかたっぽの足で円を描く 私がやっていることは つまりそういうことで 自分とまわりに ぐるり線をひき 境界をつくることなんだ ぬくぬくのお布団 トイレの個室 本を読むこと 音楽をきくこと 私は 水槽の中の魚 水を通して 世界を見ている
2007 大学3年の冬 稚菜
幸せを疑う。 私はほんとにこんな事がしたいの? ほんとは何がしたいの? 今食べてるものは本当に美味しい? 今見ているものは本当にきれい? 今やっていることは本当に楽しい? 人から言われたり 本で読んだり 写真で見たり 何となく 判断していない? きちんと考えなさい、私。 自分の頭で。 毎日、良い服を着よう。 根っこの見える格好をしよう。 美味しいものを、楽しく食べよう。 寝る前には次の日の仕度をしておこう。 でないと、明日に続かない。私はまた、 同じことを繰り返してしまう。
2007 大学3年の冬 稚菜
子どものころ はこべの花かんむりを作りました はこべの花を知っていますか ななくさ粥のときに食べる ―― あの。 手折るそばからなよなよとしおれていくあの雑草は 花もすぐに落ちてしまう 白い花弁が 一枚 また一枚 やっと編み終える頃には 花かんむりと呼ぶのもはばかられるほど 葉っぱばかりになっていました。 ―― あの あのたよりない手触りは あのくたりとした重みは いまだにこの髪に絡んでいるけど いま はこべを摘んで編んでみても あの花かんむりにはならないのです。 はこべやはこべ こころにはこべ はこべやはこべ こころをはこべ
大学時代のいつか 稚菜
ぽたり ぽたり こぼれる言葉 北斗七星からわたしの枕へ したたりおちる にじむ ひろがる しみる しみこむ わたしの枕へ わたしの心へ 声にも形にもなれなかった 星くずのきらめき なんてかわいそうなのかしら あのときの わたしの 言葉は (あなたの) 今もシーツの上で ちらちらと光って 自己主張しています。
2005 大学3年の夏 稚菜
vousといえば 二人称複数 でも「あなた」と敬意をこめて呼びかけるときにも vousというのですって。 tu vous tu vous tu vous tu vous ・・・ tuだけでは「あなた」に不足なのね。 わかる気がする。 tu vous tu vous tu vous tu vous ・・・
2006 大学3年の夏 稚菜
インクが尽きて 涙も尽きて 紙が無くなり 思い出も消え失せ 言葉が 私を 離れていってしまったとき この病身を この不在を この口を 何で満たせば良いのでしょうか。 このペンが折れ この指が燃え尽き この心が音をあげてしまったら 私は果たしてあの人の傍にいられますか。 血を流し 声を枯らし 足を棒にしたら 女は女になれるのかしら。
2006 大学3年の夏 稚菜
畳の目地の奥の奥で ダニたちがはるか頭上を見上げた 音が浸入してきたんだ 指先で踊る音は 真下めがけて落ちてゆく ダニたちはやわらかく受けとめる 短かな手足を上へのばして
2006 大学3年の夏 稚菜
物言わぬ言葉の海に 私を沈めるのは あの人 からだと同じほどぬるまった水の中では 小波さえきこえない 水分子のひとつひとつが言葉 この海は言葉の墓場 あるいは卵巣 私の吐く息 ひとつひとつが 泡になってのぼってゆく めざめる よみがえる あの人の耳もとで ゆらゆらめく薄明かりのもと 言葉はまるで亡霊のよう 私はあの人の手を握ったまま ただ潮流に身をまかすだけ そして詩を紡ぎつづける
2006 大学2年の冬 稚菜
いつか開けた切り口から取り出し 折り目に逆らわないようそっとひらく すこし堅い文字 筆調 声にはなれなかった 言葉 未熟な文面は引き出しの奥で 花咲く日を待ち続ける 千の夜を 香りを放つ その晩を
2005 大学2年の秋 稚菜
フォークの腹から タピオカはこぼれてしまった 私は何を考えていた? 何を描いていた? 何を作ろうとしていたっけ? それは何色? それはどんな角度だったろうか? ココナッツミルクと睡眠不足の頭に タピオカは沈みきってしまった 器を支える手に 手ごたえは感じられるのだが
2005 大学2年の春 稚菜
髪の流れに こいがひかる 水面の視線に 花が咲う ぽた ぽた ぽた もくれんの白がまた落ちる その音よりは明るい声 が 花粉まじりの風に拡散した 隙間を通して伝わる熱が もうすぐ桜をも咲わすことでしょう 待ちきれず わたしは何度でもここへ飛んでくるわ
2005 大学2年の春 稚菜
空の向こうの水中都市 泡が呑気に上下する 朝の学校も 午後の住宅街も 夜のバイパスも 昔のままに (笹の葉さらさら) あれがピンク色に見えたときもあった 町を茜の水が満たしている 知らないふりだった 同級生の笑い声 大人の事情 流されるままに (ぼくら青い実 ぼくら赤い火) いつかのはこべの花かんむりは 今も中空でくるくるまわっている
2005 大学2年の春 稚菜